堆積物に記録された高度成長期以降の環境変化

熊本大学沿岸域環境科学教育研究センター 助教授 秋元和實

平成18年10月4日(水)

【研究目的】

有明海の環境は、原因が不明のままに、さらに悪化が進む悪循環に陥っていると懸念されている。この原因の分析と再生の方策には、海域全体の物理・化学的環境と生物生産過程を視野に入れた総合的取り組みが必要である。特に、海域ごとに異なる環境の特性を考慮せずに実施した環境改善は、良好な状態を長時間にわたって維持することが難しい。

熊本大学研究班は、「干潟環境の物質収支と特性と海底・海中環境の特性把握」で、陸域-干潟域-海域の環境における未解明の事象の把握と相互関係などメカニズムを明らかにするための総合的調査をしている。

【研究概要】

演者が松田博貴助教授と共同研究している「放射年代測定や物理分析等による堆積物の特性把握」は、環境の改善を図るために不可欠な海洋および海底の環境の変遷とそれぞれの変動の要因となる社会環境の変化との関係の解明を目指している。そのために、堆積物に残されている1950年代以降の海域環境の記録を、地質学・古生物学の手法を用いて復元する。さらに、復元された環境変化と既存の陸域・海域の各種観測資料と比較し、海域環境に対する人為的負荷を解明する。

【昨年度実績】

熊本市街を流れる白川の河口沖有明海において、有機物と泥粒子が濃集・沈降・堆積する沿岸水と外海系水の境界で、不擾乱の柱状堆積物試料を採集した。

採集された柱状試料を、表層から基底まで厚さ1cmに切り分ける。調整した各試料に含まれる粒度・重鉱物・微化石・重金属・炭素窒素を分析する。それぞれが変化した年代を、放射年代法に基づいて把握した。

210Pb年代測定による堆積速度は0.61cm/年、137Cs法によるそれは0.73cm/年以上と算出された。

粒度組成を、レーザ回折/散乱式粒度分布測定装置(LA-920)で分析した(図2)。底生生物の分布に関係する主要な因子であるので、塩酸および分散剤による処理をしていない。砂の割合が基底(5%以下)から上方に徐々に増加(表層では25%)することから、底質の細粒化は認められない。

砕屑粒子の給源を考察するために、粒径63?m以上の重鉱物の種類と比率を検討した(図3)。

表面から24-25cm(1964-1966年)以深では、緑川流域に広く分布するASO-4溶岩の重鉱物組成に類似する。深度20-21cm(1970-1972年)以浅のそれは、白川上流域に分布する安山岩あるいは玄武岩のそれに近似する。これらのことから、砕屑物の主要な給源が1966?1972年に緑川から白川へと変化した可能性が高い。粒度および重鉱物の結果は、白川河口西方において砂の割合の変化が著しい(滝川ほか、2005)こととも一致する。

図1 試料採集地点 図2 粒度組成の鉛直変化 重鉱物組成の層位的分布
図1 試料採集地点 図2 粒度組成の鉛直変化 図3 重鉱物組成の層位的分布

海水の富栄養化と海底の嫌気化した年代を、珪藻化石(図4)および底生有孔虫(図5)を用いて推定した。

1960年頃に、赤潮珪藻種(S.costatum)が初出現し、有機物付加を指標する底生有孔虫(ElphidiumsomaenseおよびTrochamminacf.hadai)が優勢になった。これらは,海底への有機物付加の開始を示している。

堆積物の全窒素が1975年頃に急増し、さらに1980年頃にS.costatumの頻度が高くなった。重金属と有孔虫(Buliminadenutata)が、1972-1975年から増加し、1983-1986年に極大を示した。したがって、嫌気的環境は1978年から1988年にかけて形成された。

S.costatumは、1964年以前に採集した堆積物に含まれず(林、1964)、1980年に海中で急増している(熊本開発研究センター、1978-1998)。この事実は、化石記録と一致する。加えて、1975年頃の全窒素の急増は、白川および緑川で生活系窒素が1974年と1979年の間で増加した(環境省、2006)ことと矛盾しない。したがって、1975年頃の生活系窒素の増加の5年後には赤潮の発生に充分な珪藻が分布していたと判断される。

図4 図5
図4 S.costatumの鉛直変化 図5 有孔虫の鉛直変化

また、この結果は、1988年に熊本沖における珪藻赤潮の初出現(有明海等環境情報・研究ネットワーク:http://ay.fish-jfrca.jp/ariake/)よりも、約8年前に発生していたことも示唆している。

1978年から1988年にかけての海底の嫌気的環境は、1982年の堆積物のCODの急増(熊本開発研究センター、前出)から支持される。この極大期は、白川河口北に流出する坪井川におけるBOD極大期とも一致する。

【研究成果】

海域環境の悪化が陸域における負荷の変遷と密接に関連していることを示す重大な根拠を、堆積物を用いた高精度環境解析から得ることに成功した。

このページの先頭へ