「養殖ノリの色落ちと環境ストレス応答」

沿岸域環境科学教育研究センター 滝尾 進

平成18年11月9日

養殖ノリは有明海・八代海における重要な水産資源のひとつですが、平成12年には深刻な“色落ち”問題などで生産量は激減し、社会問題となりました。熊本大学は平成13年の沿岸域環境科学教育研究センター設置を機に、ノリについて基礎研究を開始しました。現在、スサビノリの遺伝子について熊本県水産研究センター、県内企業および他大学水産学部の協力のもとに研究を進めています。過去4回のこの講座では、「養殖ノリの色落ちのメカニズム」についての研究の一端を紹介してきました。今回は、あらたな研究成果に加えて、ノリの色落ちを植物の環境ストレス応答の観点から解説しました。講義では以下の項目にそって解説しました。

1.ノリとはどのような植物か?

ノリ養殖に利用されているスサビノリは紅藻類のアマノリ属(Porphyra)に属する海産の藻類です。紅藻類は植物進化の点で起源の古い植物です。

2.ノリの「色」のしくみとはたらき

紅藻の光合成アンテナ装置

図1.紅藻の光合成アンテナ装置

スサビノリにはフィコビリンやクロロフィルなどの光合成色素が含まれています。フィコビリンにはおもにフィコシアニンやフィコエリスリンが含まれ、これらは光合成反応に必要な光を集めるためのアンテナ装置(フィコビリソーム)の構成色素です(図1)。緑藻や陸上植物はフィコビリンをもたず、アンテナ色素としてクロロフィルを使うため、葉などの光合成器官は緑色をしています。

3.ラン藻の「色落ち制御遺伝子」

ラン藻は窒素やリンなど栄養分が欠乏するとフィコビリソームを分解し、退色します。ラン藻では「色落ちを制御する遺伝子nblA」が同定されています。NblAは、通常の成育状態では働きませんが、栄養欠乏になると働きはじめます。また、nblAは窒素欠乏などの栄養欠乏だけでなく強光ストレスによっても発現が誘導され「色落ち」が起こります。これらのことから、ラン藻の色落ちとは悪環境下で過剰の光エネルギー吸収を防ぐためのストレス防御機構のひとつと考えられます。

4.NblAと類似したスサビノリの葉緑体遺伝子ycf18

窒素欠乏によるスサビノリの色落ち

図2.窒素欠乏によるスサビノリの色落ち
(A)細胞の顕微鏡写真 (B)色素量の変化

スサビノリYcf18遺伝子の発現

図3.スサビノリYcf18遺伝子の発現

養殖ノリも栄養欠乏になるとフィコビリンが減少することから、ノリにもラン藻と同じような色落ちを制御する遺伝子があるのではないかと考えられました。

紅藻の葉緑体DNA中にもラン藻のnblAとよく似た遺伝子ycf18が存在していることは知られていましたが、その働きについては調べられていませんでした。私達は、実験室内で培養したスサビノリを用いて窒素欠乏にするとフィコビリンが分解することを確認し(図2)、この系をもちいてycf18遺伝子の発現について調べたところ、いくつかの点でラン藻nblAとは異なることが分かりました。遺伝子はDNAの4種類の遺伝暗号として保存されています。遺伝子が働くためには、まず、遺伝暗号がRNAに読み取られます。そして、RNAの情報をもとにタンパク質が合成されます。ycf18遺伝子の働きを知るために、まず、ycf18のRNA量を調べました。通常の栄養状態のノリからRNAを分離してycf18のRNA量を調べたところ、微量ですが検出されました。また、ycf18は単独でRNAが作られるのではなく、フィコエリスリンRNAと一緒に合成されていました。また、窒素欠乏ではフィコエリスリンRNAだけてなくycf18RNAも見られなくなりました。Ycf18RNAが合成されるときには同時にフィコエリスリンRNAも作られることから(共転写)、Ycf18が「色落ち(フィコビリソームの分解)」に働くのではなく、むしろ、「フィコビリソーム作り」に働いている可能性が生まれました。しかし、通常状態でのYcf18 RNAの蓄積レベルは非常に低く、その働きについては疑問が残されていました。そこで、Ycf18の発現が強く誘導される環境条件の検索を開始しました。昨年までに、鉄欠乏により発現が増大することを見出していました。しかし、その後、この現象は再現性が低いことから、更に新たな環境条件を検討してきました。最近、窒素源を硝酸塩からアンモニウムに切り替えるとYcf18の発現が増大することが明らかになりました。

現在までにラン藻の色落ち制御遺伝子NblAを参考にスサビノリYcf18について調べてきました。残念ながらノリに色落ちの主要因と考えられている窒素欠乏やリン欠乏ではycf18は働きをもたないと考えられました。そこで、当初の問題であった、窒素欠乏によりノリの色落ちに関与する環境因子として高水温やカビの感染なども良く知られています。Ycf18がこれらのストレスに応答するのかは今後の課題です。また、研究の副産物として見出されたアンモニアによるYcf18の発現がどのような生理的機能をもつのかも今後の課題です。

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