養殖ノリの色落ちと環境ストレス応答

滝尾 進 (熊本大学沿岸域環境科学 教育研究センター)

平成19年10月10日(水)

養殖ノリは有明海・八代海における重要な水産資源のひとつですが、平成12年には深刻な“色落ち”問題などで生産量は激減し、社会問題となりました。熊本大学は平成13年の沿岸域環境科学教育研究センター設置を機に、ノリについて基礎研究を開始しました。現在、スサビノリの遺伝子について熊本県水産研究センター、県内企業および他大学水産学部の協力のもとに研究を進めています。過去5回のこの講座では,「養殖ノリの色落ちのメカニズム」についての研究の一端を紹介してきました。今回は,その後の研究成果の他に,新たに取組んでいる「ノリのリモートセンシング」について,ノリの環境ストレス応答の観点から解説しました。

【1.ノリとはどのような植物か?】

ノリ養殖に利用されているスサビノリやアサクサノリは紅藻類のアマノリ属(Porphyra)に属する海産の藻類です。生物は原核生物と真核生物の二つに大別できます。真核生物はさらに植物と動物に大別することができ、植物では遺伝物資であるDNAは核の他にミトコンドリアや葉緑体にも含まれています。

植物の進化において、光合成を行う原核生物であるラン藻が植物の祖先となる細胞に取り込まれて、やがて細胞内で共生し現在の葉緑体になったと考えられています(一次共生、図1)。そして、葉緑体の性質などから紅藻は真核生物のなかでもっとも起源の古い植物であると考えられています。

【2.ノリの「色」のしくみとはたらき】

スサビノリにはフィコビリン、クロロフィル、カロチノイドなどの光合成色素が含まれています。フィコビリンにはおもにフィコシアニン、フィコエリスリン、アロフィコシアニンが含まれ,これらは光合成の反応に必要な光を集めるためのアンテナの働きをする装置(フィコビリソーム)の構成色素です(図2)。

緑藻や陸上植物はフィコビリンをもたず、アンテナ色素としてクロロフィルを使っているため、葉などの光合成器官は緑色をしています。光合成を行うバクテリアの一種であるラン藻やスサビノリの属する紅藻はアンテナ色素としてフィコビリンを使っている点で他の植物群とは異なっています。

【3.ラン藻の「色落ち誘導遺伝子」】

ラン藻は窒素やリンなど栄養分が欠乏するとフィコビリソームを分解し,色落ちをおこします。色落ち能を失った突然変異体」の遺伝子解析により、「色落ちを制御する遺伝子」は多数存在することが明らかになってきました。そのうちでもっとも重要な遺伝子NblAは、通常の成育状態ではその働きが抑制されていますが、栄養欠乏になると働きはじめます(図3)。

遺伝子組み換え技術を使ってラン藻のNblA遺伝子を破壊すると「色落ち能が失われる」ことも証明されています。

【4.ノリの葉緑体DNAにもラン藻のNblAと類似の遺伝子(Ycf18)がある】

養殖ノリもラン藻と同様に栄養欠乏になるとフィコビリンが減少することは、およそ15年前に詳しく研究されていました。それによると、フィコビリンの他に、クロロフィルやカロチノイドも減少しています。平成12年末の有明海で起こったノリの色落ちでも同じ症状を示していました。栄養欠乏によりフィコビリンが減少することから、ノリにもラン藻と同じようなしくみがあるのではないかと考えられました。

私たちはスサビノリを人工海水を用いて実験室内で培養し、栄養欠乏により色落ちノリを作成し、葉緑体や色素の変化を調べたところ、窒素欠乏培養液に移すとフィコビリンやクロロフィルの減少が観察できました。また,リン欠乏でもフィコビリンやクロロフィルの減少が観察できました。

スサビノリなどの紅藻類の葉緑体DNA中にもラン藻のNblAとよく似た遺伝子Ycf18が存在してます。しかし、その働きについては調べられていませんでした。

【5.スサビノリYcf18遺伝子の発現パターン】

Ycf18遺伝子の発現状態を調べたところ幾つかの点でラン藻のNblAとは異なることが分りました。特に、栄養欠乏にするとスサビノリは色落ちを示すのに対しYcf18遺伝子の発現は変化しなかったことは、予想外の結果でした。その後、 Ycf18の発現を誘導する環境条件を求めて研究を続けてきました。昨年、窒素源を硝酸塩からアンモニウムに切り替えるとYcf18の発現が増大することが明らかになりました。

このように、ラン藻の色落ち制御遺伝子NblAを参考にスサビノリYcf18について調べてきましたが、残念ながらノリに色落ちの主要因と考えられている窒素欠乏やリン欠乏ではycf18は働きをもたないと考えられました。紅藻の場合、色落ちを制御する遺伝子があるとすれば、核ゲノムにあるのではないかと考えられます。

現在、窒素欠乏により誘導され、葉緑体で働くプロテアーゼ遺伝子の分離を試みています。また、研究の副産物として見出されたアンモニアによるYcf18の発現がどのような生理的機能をもつのかも今後の課題です。

【6.養殖ノリのリモートセンシング】

リモートセンシングは、光・赤外線・電波などを計測するセンサを用いて、対象物の性質を離れたところから調べる技術です。農業では、作物の作付け状況・収量、土壌の特性、熱・水資源の分布などが測定され、農作物の栽培管理にも利用されています。海洋植物としては、赤潮プランクトンの消長や藻場の探査などに利用されています。

有明海では養殖時期にはノリ網は沿岸域海面の多くを占有することから、リモートセンシングの対象として利用できる可能性があるのではないかと考えられます。そこで、スサビノリのリモートセンシング技術の開発の第一歩として、各種欠乏条件によるノリの反射スペクトルの変化について調べました。(図4)。実験はまだ予備段階ですが、色素量では識別できない初期のストレス条件においても反射スペクトルでは識別が可能であることが示唆されています。

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