有明海・八代海の生物多様性

熊本大学沿岸域環境科学教育研究センター
教授 逸見 泰久

平成24年10月3日(水)

1.有明海・八代海の生物多様性

熊本県は、干潟面積日本一の県である(図1)。戦後約3千haの干潟が埋め立てられたが、熊本県の干潟現有面積は約1万2千haで、2位の佐賀県(約1万ha)を大きく引き離している。これらの干潟の大部分は、有明海・八代海に広がっているが、そこは、アサリ・ハマグリ・クルマエビ・スズキ・ノリなど、豊かな海の幸を育む宝の海である(図2)。また、東京湾・瀬戸内海などでは絶滅・激減した生物(シマヘナタリ・ハマグリなど)が豊富に生息する生物多様性の宝庫でもある。


図1 都市の「原風景」の干潟は、人間活動が大きく影響する環境である

図2 二枚貝(アサリ・ハマグリ・アゲマキ・タイラギ)。

2002〜2004年に全国で実施された干潟動物ベントス調査の九州地区の結果を図3に示す(第7回自然環境保全基礎調査、浅海域生態系調査(干潟調査)報告書;環境省 2007)。このように、本調査で確認された動物ベントスは有明海が平均88種と最も多く、八代海も平均75種と奄美大島に次いで3番目に多かった。

しかし、1980年代以降、有明海・八代海の環境は急激に悪化して、生物多様性が悪化すると同時に、漁獲量も激減した。アサリは、1980年前後には熊本県だけで年間約6万tの漁獲があったが、現在は5,000 t以下に過ぎない。ハマグリも漁獲量が過去25年間で約20分の1に激減した。アゲマキ・タイラギに至っては、近年ほとんど漁獲がなく、休漁状態である。クルマエビは放流しても育たず、ノリも色落ち・不作が頻発し、不安定な生産が続いている。さらに、有明海特産種(アリアケシラウオ・オオシャミセンガイなど)の大部分は、絶滅が危惧されるほどに激減し、その一方で、外来種(シマメノウフネガイ・カラムシロなど)の侵入が相次いでいる。

このような干潟の環境悪化の原因として、流入負荷の増大・潮流の遅速化・土砂供給の減少と、それによってもたらされた泥化(ヘドロ化)・貧酸素水塊の発生・赤潮の発生、あるいは乱獲、塩性湿地・なぎさ線の消失などが考えられる。しかし、問題は複雑であり、また原因が複合的で、かつ生物種や地域によって異なるため、特定に至っていない。おそらく、多くの研究者によって指摘されているように、いくつかの原因が相互に影響し合い「負のスパイラル」に陥ったというのが正解であろう。


図3 第7 回自然環境保全基礎調査、浅海域生態系調査(干潟調査)で確認された動物ベントスの種数.
グラフの下の種数は各海域の平均確認種数.

干潟環境の悪化要因の中でも特に重要なものは、流入負荷の増大・潮流の遅速化・土砂供給の減少である。流入負荷の増大は、家庭排水・農業廃水・畜産廃水・養殖漁業に起因する。また、潮流の遅速化は、主に埋立や防波堤の設置など沿岸地形の変化に起因するが、流入負荷の増大と相まって、海底の泥化と貧酸素水塊の発生をもたらした。ダム・堰の設置に起因する土砂供給の減少も、海底の泥化を進め、魚貝類の生息環境を悪化させている。

このように原因が複合的で、強く関連しているため、沿岸環境の改善は容易ではない。まずは、下水道の普及等による流入負荷の抑制・計画的漁業の推進・環境に配慮した沿岸域の開発など、早急にできることから始めるしか手はないであろう。

2.有明海におけるハマグリの現状と資源管理

市民公開講座では、ハマグリを例に挙げて、魚貝類減少の原因を議論した。ハマグリは、有明海では菊池川河口から宇土市網田にかけての熊本県沿岸に生息するが、1970年代には5,000 tあった漁獲量が、現在は100 t程度に減少している(図4)。


図4 有明海におけるハマグリの漁獲量の変化

講演では、有明海のハマグリ資源量減少の原因として、河口域の泥化と漁業者による乱獲が大きいことを説明した。ハマグリの稚貝は河川内に着底し、成長するにつれて海域に移動するが、河口域では泥化が進んでいる。これは、全国規模でダムの建設や川砂採取が急増し、河口域に流入する砂の量が減ったのに加えて、護岸や防波堤の建設によって潮流が停滞したのが原因である。また、ダム堆砂、川砂採集に加えて、河川改修によっても河床低下が起き、上流から砂が供給されても河口域までは供給されず、泥分だけが河口域に堆積した。さらに、河床低下により海水の遡上範囲が拡大し、ハマグリの着底できる低塩分の範囲が縮小したことも影響している。有明海では、1970年以降急速にダムが建設され、2005年の総貯水量合計は約3.5億m3と、筑後川の年間流量の約1/10ほどに増加した。また、川砂の採取は1960年頃より急激に増加し、1970年までに約2,000万m3、1980年までに約2,500万m3、2000年までに約3,000万m3の川砂が採取された。

乱獲もハマグリ激減の原因として無視できない。熊本県では殻長の制限(3 cm未満の採集の禁止)しかないので、ハマグリに対する漁獲圧が高く、多くのハマグリが大きくなる前に漁獲されている。これは、漁獲サイズ(殻長5 cm以上)、漁獲量(1人1日10 kgまで)、漁期(11月から翌年3月まで)などを厳しく規制している福岡県加布里湾とは対照的である。沿岸環境が改善され、ハマグリが増えても、せっかく増えたハマグリを取り尽くしては意味がない。漁業者などが資源管理について議論する場を、熊本県などが中心に設定することが必要である。

なお、泥化や有害物質、貧酸素による環境悪化は、陸上からの物質の流入や海域での複雑な相互作用が関わっているのに加え、埋立や浚渫などの大規模な沿岸域の改変が関わっているので、短期間で元の良好な環境に戻すことはほとんど不可能である。これに対して、乱獲がハマグリ減少の原因である場合は、適正な資源管理を行うことによって即効的な資源量の回復が期待できる。ハマグリ資源の回復のために、行政や漁業者が真っ先にできる対策である。

3.八代海の生物多様性

市民講座では、平成23年度より行っている「八代海再生プロジェクト(生物多様性のある八代海沿岸海域環境の俯瞰型再生研究プロジェクト)」についても解説を行った。八代海は、有明海のほぼ南に位置する面積約12万haの内湾である。有明海と地史的にも密接な関係にあるが、八代海を対象とした研究は、有明海に比べて格段に少ない。生物相に関する報告も少なく、特に、干潟生物を対象とした研究はわずかしかない。近年になって、国土交通省や環境省によって、八代海の底生動物が継続的に調査・研究されているが、多くは潮下帯のみを対象としており、干潟の底生動物に関する研究は少ない。干潟での研究が八代海で少ない理由としては、多くの干潟が軟泥で歩くことが難しいのに加え、調査船で調査するには、満潮時でも水深が浅いことがあげられる。

しかし、八代海の干潟は、埋め立てや堤防建設、あるいは土砂堆積によって、生物多様性が急速に失われているのが現状で、 これは、干潟の上部に発達する塩性湿地でも同様である。

逸見を中心とするグループでは、潮下帯・干潟・塩性湿地の大型底生生物(マクロベントス)・小型底生生物(メイオベントス)・塩生植物・水鳥等の生物相や分布を明らかにし、同時に環境との関係を明らかにする目的で研究を行っている。今後、生物相を軸にそれぞれの環境を類型化し、評価し、特に保全すべき環境、特に修復を必要とする環境等を明らかにする予定である。

(1) 八代海の底生動物相と底質環境

マクロベントス関しては八代海湾奧部58地点で2011年5〜7月に空間分布を、メイオベントスに関しては調査海域の4地点で同年5、 8、 12月に季節変化を調べた。湾最奧部(図5の赤線より東)には軟泥が堆積していたが、硫化物は調査地西部域の方が高かった(東域0.108 mg/ g dw, 西域0.218 mg/g dw)。マクロベントスは、種数・個体数・現存量ともに貧弱であったが、これは軟泥化よりは、むしろ豪雨後の長期の淡水化が原因である可能性が示唆された。メイオベントスの個体数も通常の浅海域泥底と比較してやや低い傾向にあり、地点によっては8月に個体数が有意に減少した。この減少の原因も梅雨期の河川からの流入の増加が考えられる。

また、2012年5〜6月に湾央部に位置する球磨川河口の干潟・潮下帯101地点でマクロベントスの空間分布を調査した。現在、標本を同定・計測中であるが、硫化物濃度は湾奧部と大差なく(平均0.138 mg/ g dw)、分布は図6のようであった。


図5 八代海湾奧におけるマクロベントスの現存量(g/m2)

図6 球磨川河口における硫化物の分布

(2)塩性湿地の生物相

2011年5〜10月に、有明海・八代海の塩性湿地52地点で、カニ類相と貝類相を調査し、群集構造に影響する環境要因を解析した。カニ類は19種、貝類は21種が確認された。得られた各地点のカニ類相・貝類相を元に、MDS(多次元尺度構成法)とクラスター分析を用いて群集構造解析を行った。

その結果、カニ類では全調査地点を6つ(5つとその他)のグループに、貝類は5つ(4つとその他)のグループに分けることができた。なお、グループを分ける環境要因としては、湿地の立地条件(河川か海岸かなど)と底質が重要であった。

(3)水鳥の生息状況

クロツラヘラサギを中心に、八代海に飛来する水鳥の餌場利用・休息地利用を調査した。クロツラヘラサギは、季節によって餌場を変えており、ハゼ類の遡上する夏季には、河川内での採餌個体が増加した。一方、休息地は河川内の中洲や堤防で、潮の干満に応じて餌場と休息利を移動していた。氷川の休息地に新幹線の架橋ができたため、休息場所が鏡川に移動したが、八代海全体の飛来数は増加傾向にあった(Takano & Henmi 2012)。

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