海洋環境の長期モニタリングの重要性

熊本大学沿岸域環境科学教育研究センター
教授 逸見 泰久

平成25年9月25日(水)

1.海洋生物の長期変動

 海洋環境,特に沿岸域の環境は,降水量・日射量などの影響を強く受け,程度に差はあるものの年によって異なるのが一般的である.同様に,生物の資源量や種組成(群集構造)も,環境変動の影響を直接・間接的に受け,常に変化している.そのため,1年だけの環境変化や魚介類の豊漁・不漁などを基準に,環境の悪化・改善を議論するのは危険である.  しかし,身近な変化を過敏に受け取り,一喜一憂する傾向が我々日本人にはある.具体例を挙げると,有明海の2000年の海苔凶作は記憶に新しいが,その後,海苔生産量が増加傾向にあることは意外と知られていない.最近でも,球磨川河口のハマグリなどの増加が荒瀬ダムの水門開放と結びつけられ,「荒瀬ダム撤去 変化の兆し」として新聞報道されている.しかし,荒瀬ダムの水門開放と近年の海域環境の変化との関連は弱いと考えられる.一方,海を生活の場とする漁業者は,「海域環境や生物資源量が年によって大きく変動すること」をよく知っている.例えば,有明海では昨年(2012年)からビゼンクラゲが豊漁で,大きな収入源となっているが,漁業者は「30年ほど前にもビゼンクラゲが大発生したことがあったが,すぐにいなくなった.みんな今のうちに稼いでおこうと,目の色を変えてクラゲを捕っている.生活のためにはクラゲに期待せざるを得ないが,本当は魚介類が捕れる豊かな海に戻ってほしい.」と発言している.  ちなみに,演者は現在,環境省の「海のレッドリスト」の選定に関与しているが,生物量の増減がある程度わかっているのは有用水産種に限られており,それ以外の生物については「増えているのか,減っているのか」さえほとんどわかっていない.また,水産有用種でも,漁獲量が不明な種もあり,プランクトン幼生量や新規加入量(稚貝・稚魚など)がわかっている生物は皆無と言ってよい.  この講演では,ハマグリ・ナメクジウオなどを例に,海洋生物の長期変動について概説する.また,演者が委員を務めている「海洋生物の希少性評価(海のレッドリスト:環境省)」についても言及する.


図1. 有明海4県の海苔生産枚数の推移
(NPO法人 海苔再生機構z)

図2. ビゼンクラゲ
http://www.kaiyukan.com/blog/2013/08/post-223.html

2.ハマグリの長期変動

ハマグリは学名をMeretrix lusoriaという.国内には,ハマグリ,チョウセンハマグリMeretrix lamarckii,トゥドゥマリハマグリMeretrix sp.(未記載種)の3種が生息するが,中国やベトナムなどから輸入されているシナハマグリM. petechialisやハンボリハマグリM. lyrataなどとともに,「はまぐり」として流通しているため,正確な漁獲量や流通量がわかっていない(文献 1).

貝塚資料によると日本人は約8,000年前からハマグリ類(ハマグリとチョウセンハマグリ)を食べていたようで,北海道から沖縄に至る全国の貝塚からハマグリ類が出土している.『日本縄文石器時代食料総説』によると,縄文時代の貝塚から出土する貝類はハマグリ類が最も多く,出現頻度は80%近くにもなる(文献 2).しかし,1980年頃より多くの地域でハマグリ類は減少し,既に絶滅したと考えられる地域さえある.現在,ハマグリは九州地方で,チョウセンハマグリは関東の鹿島灘や九十九里浜で漁獲が多いが,それでも30年前に比べると漁獲量は大幅に減少している.特にハマグリの減少は著しく,かつては漁獲量の多かった東京湾ではほぼ絶滅状態である(文献3).また,伊勢湾でも1987年以降は年間漁獲量が100トンを切っている.国内最大のハマグリ生産県の熊本県でも同様の状況で,過去20年間で漁獲量は約20分の1の100トン程度に激減している.このように,ハマグリは各地で激減しており,昨年(2012年)発表された環境省のレッドリストでは,『絶滅危惧II類』に指定されたほどである.

ハマグリは水産有用種であるため,漁獲量については,県別・年別のデータがある(図3).しかし,先ほども述べたように,ハマグリ類はすべて「はまぐり」として流通しているため,種別のデータはない(文献4).さらに,2006年以降は,「その他の貝類」に統合されたため,ハマグリ類としての漁獲量・流通量さえわからなくなってしまった.もちろん,稚貝・幼貝は漁獲されないので,資源管理に有用にも関われず,その資源量が把握されている漁場は皆無である.演者は,ハマグリの厳格な資源管理が行われている糸島市加布里(福岡県)と資源管理が不十分な有明海の白川(熊本県)で,ハマグリの生活史や資源量の研究を続けている.その結果,ハマグリの密度が大きく年変動すること,成貝が少ない白川でも稚貝が大量に加入する年があることが明らかになっている(図4)(文献 5).


図3. ハマグリ漁獲量の年変動(2006年以降は推定)

図4. 加布里と白川における稚貝・幼貝(殻長1cm未満)のハマグリ密度の年変動

3.ナメクジウオの長期変動

ナメクジウオBranchiostoma japonicum(脊索動物門頭索動物亜門)は,干潟や浅海の砂中に潜って生活している動物である(図5).本種は日本各地で多数の生息地が確認されているが,海底の採砂等による環境の悪化により多くの生息地で個体数が減少している(文献 6).演者らは,有明海の天草赤崎沖(1999年?)と南島原沖(2009年?)の2地点で継続的に調査を行い,ナメクジウオ個体群の長期変動を追跡している(図6)(文献 7, 8).調査の結果,以下の点が明らかになった.

繁殖盛期は初夏で,特に6月には生殖腺の肥大したナメクジウオが多数見られた.新規加入個体は11月頃より見られ,冬季は体長10~15 mmであったが,翌年6月には体長20 mm前後にまで成長した.生殖腺の発達より,大部分のナメクジウオは生後2年(体長約20 mm)で繁殖可能になると考えた.

採砂量と採集個体数より,砂1?あたりのナメクジウオの密度を算出したところ,ナメクジウオの2003?2013年の密度はそれぞれ2.81, 3.19, 2.61, 2.07, 1.15, 0.92, 0.77, 0.69, 1.26, 1.47, 1.51/?で,2010年までは減少し,その後,やや回復した(図7).一方,2003?2013年の新規加入個体密度は,0.47, 1.59, 0.21, 0.21, 0.19, 0.35, 0.29, 0.27, 0.52, 0.46, 0.09で,2004年を除き加入量は少なく,年により大きく変動した.なお,新規加入密度とそれを産んだ前年の成体密度に有意な相関はなく(r=0.27),海域の環境変動が加入量を左右する可能性が示唆された.また,新規加入密度と翌年の成体密度の相関も,有意ではあったが弱かった.

さらに,島原の分布域は狭かったが,ナメクジウオの密度は1.78?4.13/?と天草よりもずっと高かった.また,2009?2012年の新規加入密度は,0.20, 1.04, 0.63, 2.25, 0.21であり,天草の新規加入密度とはあまり同調していなかった(r=0.54).

以上のことより,有明海におけるナメクジウオの減少要因については,新規加入密度と翌年の成体密度には弱い相関があったことより,新規加入の減少が天草におけるナメクジウオの減少の一因である可能性が示唆された.また,新規加入量の減少要因としては,底質の悪化,地域個体群間のネットワークの崩壊,エイ類による捕食などが考えられた.さらに,新規加入個体数の年変動の要因としては,成体の密度と翌年の新規加入個体の密度には相関がなく,また,天草と島原では新規加入個体数の変動パターンが異なっていたことより,海況の変化に加え,幼生加入場所が年によって変わっていることに起因すると考えた.

4.海洋生物の希少性評価

環境省は海洋生物の希少性評価の一環として,『海洋生物のレッドリスト』の作成を進めている.本事業は,「生物多様性基本法(2008)」による「生物多様性国家戦略2010」に基づいて作成されるもので,演者は,選定・評価検討会委員,ならびに甲殻類分科会長として,レッドリスト作成に携わっている(文献 9).ちなみに,分科会は,「魚類」,「甲殻類」,「サンゴ類」,「軟体動物」,「その他の無脊椎動物」の5つである.既に,2012年度から選定・評価検討会がスタートしており,各分科会も2016年のレッドリスト確定・公表に向けて,評価表の作成を急いでいる.

しかし,『海洋生物のレッドリスト』の作成は,かなりの困難が伴うものとなっている.まず,本講演でも述べているように,個体数の増減や生息・生育地の状況が明らかになっている海洋生物はほとんど皆無である.環境省の従来のレッドリスト(第4次レッドリスト:簡便のため,「陸のレッドリスト」と呼ぶ)は,『定量的評価』を基本としている.今回の「海のレッドリスト」でも『定量的評価』が優先されるが,「陸のレッドリスト」のようにいかないのは明らかである.

また,既に「陸のレッドリスト」で指定されている種は,今回の評価対象種から除外することになっている.リュウキュウアマモ,ハマグリ,ハクセンシオマネキ,スナメリなど多くの種がこれに相当する.「海のレッドリスト」は,将来的には「陸のレッドリスト」と融合する予定であるが,「陸のレッドリスト」を拡張して,「(すべての環境の)レッドリスト」を作成するのが理想である.ただし,諸事情があり,そうはなっていない.

さらに,「海のレッドリスト」は,我が国周辺海域に分布するすべての種を対象としているが,協定等により,複数の国が資源管理に関与している種(鯨類やマグロ類など)は,評価対象種から除外することになっている.外交上の問題があるとはいえ,「法的規制力」がないレッドリストでは,できるだけ多くの種を対象とするのが望ましかった(会議には演者も参加したが,結局,環境省が水産庁に押し切られる形で多くの種が対象外となった).

このように,いろいろと問題のある「海のレッドリスト」であるが,環境省がレッドリストの対象を海洋にまで広げたことは,野生生物とその生息・生育環境を保全する上で重要である(文献10).なお,講演では,「重要海域の選定」(環境省)についても,時間が許す範囲で言及する予定である.

参考文献

  1. 逸見泰久 (2009) ハマグリの生物学, 熊本大学政創研叢書6・肥後ハマグリの資源管理とブランド化(内野明徳編著), p. 81?122. 成文堂.
  2. 酒詰仲男 (1984) 日本縄文石器時代食料総説.土曜会
  3. 逸見泰久 (2009) 日本各地におけるハマグリの現状, 熊本大学政創研叢書6・肥後ハマグリの資源管理とブランド化(内野明徳編著), p. 123?154. 成文堂.
  4. 中熊健二・逸見泰久 (2009) , 熊本におけるハマグリの資源管理, 熊本大学政創研叢書6・肥後ハマグリの資源管理とブランド化(内野明徳編著), p. 155?182. 成文堂.
  5. 逸見泰久 (2012) 有明海におけるハマグリの生息状況と資源管理に向けた取り組み,豊穣の海・有明海の現状と課題(日本水産学会監修・大嶋雄治編),p. 63?75, 恒星社厚生閣
  6. 逸見泰久・東幹夫・山口隆男 (2000)."有明海のナメクジウオ",佐藤正典編 "有明海の生きものたち". pp. 206-209, 海游舎
  7. Henmi, Y. & Yamaguchi, T. (2003) Biology of the amphioxus Branchiostoma belcheri in Ariake Sea, Japan. I. Population structure and growth. Zoological Science 20: 897-906.
  8. Yamaguchi, T. & Henmi, Y. (2003) Biology of the amphioxus Branchiostoma belcheri in Ariake Sea, Japan. II. Period of reproduction. Zoological Science 20: 907-918.
  9. 逸見泰久 (2013) コメント:レッドリストと寄生者・共生者, CANCER 22: 73?74.
  10. 逸見泰久ほか (2012) 干潟の絶滅動物図鑑 -海岸ベントスのレッドデータブック-,日本ベントス学会編(編集委員長 逸見泰久),306pp., 東海大学出版会

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