熊本大学沿岸域環境科学教育研究センター
准教授 嶋永 元裕
平成20年10月15日(水)
大きな河口や内湾に発達する干潟は、アサリなどの有用生物の苗床であると同時に、堆積した有機物を分解する浄化槽としての生態系サービスを人類に提供する。このサービスを支えているのが、様々なサイズの底生生物(ベントス)である。干潟における小型底生生物(微生物やメイオファウナ)の生物量は大型生物(マクロファウナ)の数分の一だが、世代交代時間が短いため、生物生産量の点ではマクロファウナに匹敵、あるいはそれを凌駕する。一方、マクロファウナは、堆積物中に巣穴を形成する等によって、干潟の堆積物環境を比較的大規模に改変する。この改変が、より小型の底生生物の生物量・種多様性を増大させる「助長作用」を及ぼす場合が多い。
多くの干潟で普通に見られるシオマネキ、コメツキガニなどのスナガニ類では、干出時における摂食活動が、堆積物表層のメイオファウナに負の影響を与えることが知られている。しかし他方で、熱帯の干潟に生息するスナガニ類などの巣穴内では、近傍の堆積物より、メイオファウナ全体、あるいは特定の分類群の個体数が多かったという報告もある。したがって、スナガニ類の巣穴にも、メイオファウナに対する助長作用がある可能性が強く、彼らの助長作用に関する知見が深まれば、干潟生態系における生物多様性の維持機構に対する理解が深まることが期待される。しかし、スナガニ類の巣穴周囲におけるメイオファウナの微小空間分布に関する包括的な研究例は、極めて少ないのが現状である。
そこで私たちは、スナガニ類のメイオファウナに対する助長作用を明らかにするために、上天草市松島の砂質干潟において、ハクセンシオマネキとコメツキガ二の巣穴周囲のメイオファウナの微小分布を2007年8月、11月の干潮時に調査した。調査に当たっては、以下の二つの作業仮説を念頭においた(図1)。
図1.二つの作業仮説
仮説1.堆積物表層は、カニの摂餌活動により撹乱され、また、酸素が外部から堆積物中に直接供給されやすい。したがって堆積物表層では、巣穴の助長作用は弱い、あるいは完全に打ち消されるため、メイオファウナの水平分布は、巣穴からの距離と無関係である。
仮説2.堆積物深層では、巣穴がスノーケルの役割を果たすため、それに近いほど酸素濃度が高いと思われる。したがって堆積物深層では、巣穴の助長作用が強く働き、巣穴に近いほどメイオファウナ密度は高くなる。
調査の結果、種、季節を問わず、仮説1は棄却されなかった。一方、ハクセンシオマネキの巣穴周辺の堆積物深層では、8月、11月共に、メイオファウナ全体、最優占分類群であった線虫類の個体密度が、巣穴直近部で最大値を示し、特に線虫類では11月に有意差が検出され、一部の分類群に対する助長作用が示唆された。しかし、コメツキガニ巣穴周辺では、助長作用を支持する明確な結果は得られなかった。両種の差異を説明する理由としては以下のものが考えられた。
1.放浪個体が多く存在するコメツキガニの場合、一つの巣穴が維持される平均時間は、ハクセンシオマネキより短いため、巣穴の効果が表れにくい。
2.ハクセンシオマネキの巣穴周辺の土壌硬度は、コメツキガニのそれより有意に高かった。これは、コメツキガニの巣穴周辺の堆積物に十分な間隙がある事を示唆する。これにより堆積物のかなり深くまで酸素が供給されるため、巣穴の助長効果は相対的に弱くなる。