市民講座「有明海・八代海を科学する」(2004/3/4/木) |
 |
養殖ノリは有明海・八代海における重要な水産資源のひとつですが、平成12年には深刻な“色落ち”問題などで生産量は激減し、社会問題となりました。
熊本大学では平成13年の沿岸域環境科学教育研究センター設置を機に、ノリの遺伝子について研究を開始しました。現在、スサビノリの遺伝子について熊本県水産研究センター、県内企業および他大学水産学部の協力のもとに研究を進めています。本講座では、私たちが取組んでいるテーマのうち「養殖ノリ色落ちのメカニズム」についての研究の一端を紹介します。 |
|
1.ノリとはどのような植物か? |
ノリ養殖に利用されているスサビノリ(図1)やアサクサノリは紅藻類のアマノリ属(Porphyra)に属する海産の藻類です。 生物は原核生物と真核生物の二つに大別できます。原核生物では遺伝子の本体であるDNAが裸の状態で細胞内に存在していますが、真核生物ではDNAは核とよばれる膜に包まれた部位に閉じこめられています。真核生物はさらに植物と動物に大別することができ、植物ではDNAは核の他にミトコンドリアや葉緑体にも含まれています。植物の進化において、光合成を行う原核生物であるラン藻が植物の祖先となる細胞に取り込まれて、やがて細胞内で共生し現在の葉緑体になったと考えられています(一次共生、図2)。
そして、葉緑体の性質などから紅藻は真核生物のなかでもっとも起源の古い植物であると考えられています。同じ海藻のコンブやワカメなどの褐藻や赤潮プランクトンとして知られる渦べん毛藻や珪藻は植物が出現した後にさらに別の細胞に共生して生まれたと考えられることから(二次共生)、おなじ海の植物といってもノリとこれらの植物は大きく異なっています。 |
2.ノリの「色」のしくみとはたらき |
スサビノリを水や有機溶媒を用いて破砕するとフィコビリン、クロロフィル、カロチノイドなどの光合成色素が抽出できます。フィコビリンにはおもにフィコシアニン、フィコエリスリン、アロフィコシアニンが含まれています。これらは光合成の反応に必要な光を集めるためのアンテナの働きをする装置(フィコビリソーム)の構成色素です(図3)。緑藻や陸上植物はフィコビリンをもたず、アンテナ色素としてクロロフィルを使っているため、葉などの光合成器官は緑色をしています。光合成を行うバクテリアの一種であるラン藻やスサビノリの属する紅藻はアンテナ色素としてフィコビリンを使っている点で他の植物群とは異なっています(図4)。ただし,紅藻ではアンテナ装置としてフィコビリソームの他にクロロフィルでできたアンテナ装置(LHCI)ももち,ラン藻にはこの装置がない点は異なっています。 |

 | |
3.ラン藻の「色落ち誘導遺伝子」 |
ラン藻は窒素やリンなど栄養分が欠乏するとフィコビリソームを分解し、その産物を栄養源として再利用したり過剰な光吸収による光傷害を防いでいると考えられています(図5)。ラン藻にとって「栄養欠乏による色落ち」は過酷な環境で生き残るための重要な手段といえます。「色落ち能を失った突然変異体」の遺伝子解析により、「色落ちを制御する遺伝子」は多数存在することが明らかになってきました。そのうちでもっとも重要な遺伝子nblAは、通常の成育状態ではその働きが抑制されていますが、栄養欠乏になると働きはじめます。遺伝子組み換え技術を使ってラン藻のnblA遺伝子を破壊すると「色落ち能が失われる」ことも証明されています。 |
4.ノリの葉緑体DNAにもラン藻のnblAと類似の遺伝子がある |
養殖ノリもラン藻と同様に栄養欠乏になるとフィコビリンが減少することは、およそ15年前に詳しく研究されていました。それによると、フィコビリンの他に、クロロフィルやカロチノイドも減少しています。平成12年末の有明海で起こった色落ちノリも同じ症状を示していました。栄養欠乏によりフィコビリンが減少することから、ノリにもラン藻と同じようなしくみがあるのではないかと考えられました。
私たちはスサビノリを人工海水を用いて実験室内で培養し、栄養欠乏により色落ちノリを作成し、葉緑体や色素の変化を調べたところ、窒素欠乏培養液に移すとフィコビリンやクロロフィルの減少が観察できました(図6)。
スサビノリと同じアマノリ属のパープレアアマノリでは葉緑体DNAの全塩基配列が決定されています。パープレアアマノリやその他の紅藻の葉緑体DNA中にもラン藻のnblAとよく似た遺伝子ycf18が存在していることは知られていましたが、その働きについては調べられていませんでした(図7)。 そこで、パープレアアマノリの遺伝子情報を参考にして、スサビノリからycf18とその近傍の遺伝子断片を分離し塩基配列を決定しました。その遺伝子構造はパープレアアマノリと同じで、ycf18遺伝子はフィコエリスリン遺伝子と隣接して存在していました(図8)。次に、栄養欠乏における遺伝子の発現状態を調べたところ、ラン藻のnblAとは異なる応答を示すことが分かりました。しかし,ycf18の発現レベルは非常に低く,その働きについては疑問が残されていました。ラン藻では,窒素欠乏の他に,リン欠乏,鉄欠乏でもnblAの働きにより色落ちが起こることが報告されていました。
そこで本年度は,リン欠乏,鉄欠乏条件での色素量やycf18遺伝子発現量について調べました。リン欠乏では窒素欠乏と同様に色落ちが見られ,ycf18の遺伝子発現のレベルは非常に低いものでした。しかし,鉄欠乏ではycf18の発現が顕著に増大しました。鉄欠乏ではクロロフィル量やフィコシアニン量はリン欠乏と同様に低下しましたが,フィコエリスリンについては窒素欠乏やリン欠乏とは異なりあまり減少しませんでした。ラン藻nblAと同じ働きをするのではないかと予想していたスサビノリycf18はラン藻とは異なる機能をもつ可能性が生まれました。
|
5.スサビノリのゲノムプロジェクト |
スサビノリは次のような実験生物としての利点があることから海洋植物の基礎および応用研究のモデル実験生物として近年注目されています。
・ゲノムサイズが小さい(29億塩基対) ・生活環が2‐3ヶ月と短期間で完結できる。 ・培養しやすく培養面積が少なくてよい ・染色体数が少ない(n=3)など
2000年と2003年にスサビノリから合計約20000のESTクローンの部分塩基配列情報が公開されています。ヒトの全遺伝情報を解読するゲノムプロジェクトは3年前に終了し、生命科学は新たな時代を迎えています。また、ゲノムプロジェクトはさまざまな生物へと広がりをみせています。 スサビノリは上記のような利点をもつことから、大型海藻類としては唯一ゲノムプロジェクトが計画されています。スサビノリは従来の食品としての価値だけではなく、海藻類特有の新規有用物質の生産など新たな産業創製の可能性も秘めています。 |
「有明海・八代海を科学する」もくじ  |
【 熊本大学 地域貢献特別支援事業 】 |