五高記念館について
五高記念館は1887(明治20)年4月に開校した第五高等中学校の本館として、1889(明治22)年に竣工しました。その後、第二次世界大戦後の学制改革によって熊本大学に包括され、1950(昭和25)年に閉校しました。閉校から約20年後の1969(昭和44)年8月、化学実験場や赤門とともに国の重要文化財に指定され、1993(平成5)年から2016(平成28)年4月の熊本地震発生までは「五高記念館」として一般に公開をしていました。
五高記念館の建築
1888(明治21)年に着工し、1889(明治22)年に竣工しました。教室本館は、れんが造二階建て、屋根は寄棟、桟瓦葺きです。れんがの積み方はイギリス積みで、窓は縦長で上げ下げ窓、内部の壁は漆喰、天井は換気のため透かし張りとなっており、さらに階段の親柱等には繊細なデザインが施されています。設計者はフランスで学んだ山口半六とイギリス人コンドルの教えを受けた久留正道です。
熊本地震の被害
2016(平成28)年に発生した平成28年熊本地震により、甚大な被害を受け、一般公開を停止しています。国の重要文化財に指定されている4つの赤レンガ建造物「五高記念館」「赤門」「化学実験場」「工学部研究資料館(旧機械実験工場)」すべてが被害を受け、復旧工事を行っています。「五高記念館」は8基ある煙突のうち4基の倒壊、外壁のひび割れのほか、内部では廊下のアーチ梁が割裂し、内壁にも亀裂が生じました。五高記念館と同年に竣工した「赤門」の被害は比較的軽微で、2017(平成29)年度中に補修・補強工事をすでに完了しています。五高記念館の構造とよく似た「化学実験場」も、煙突の倒壊や傾き、ずれ、外壁のひび割れなどがありましたが、平屋部分が多かったため、大規模な被害は免れました。一方で、1908(明治41)年に建設された「工学部研究資料館(旧機械実験工場)」は最も被害が甚大でした。旧工場であったため、内部は壁の少ない大空間になっており、外壁や内壁のひび割れ、ずれが各所で見られました。
今後、これらの建造物は地震による被害に対応するため補強を追加し、文化庁が定める重要文化財建築物の耐震性能のうち“安全確保水準”を目指しています。五高記念館と化学実験場については、原則として外見からは分からない補強をし、工学部研究資料館についてはやむをえず屋内に鉄骨のフレームを設置する方針です。